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あられ・餅・おせんべい
日本国の主食とされる米(粳米)を用いる米菓のせんべい。
せんべいの名称と由来は農家が残り飯を蒸して塩をまぜて延ばし、竹筒で丸型に抜いて、天日で干して乾燥させ炭火で焼いたのが始まりとされ、元禄年間(1960年代)京の菓子の製造方法が江戸に伝わり、火種を入れた七輪を背負い、客の求めに応じてその場で生地を焼き上げる商売があったそうです。
また日光街道の茶店にて団子を売っていた、お仙婆さんが、日によって売れ残る団子をどうにかできないかと悩んでいたとき、旅人が「団子を潰して天日で乾かし、塩味をつけて、焼餅としては」と教えてくれたことから始まったお仙婆さんの焼いた餅より仙餅(せんべい)そして煎餅に変化したとの説もあります。
丸い団子を延ばすと丸くなり、それを乾燥させ焼きあげた名残りからか、一般的にせんべいは丸い形のものが多いのです。その後、文化文政年間(1800年代)に醤油が一般に普及されたことで、家内工業的に製造販売されるようになりました。
粳米(うるちまい)は糯米(もちごめ)よりも収穫量が多く、また手軽に手に入ったことや、製法上においてもせんべいはあられやかきもちよりも、手間や時間が掛からず簡単だったこと。そして残り物を利用した庶民の知恵から由来する日本のより良き文化である「もったいない」の考えより、せんべいは大衆向けのお菓子として、米どころ新潟に近い関東に多く拡がったのです。