京都新工場開設秘話 | 京西陣 菓匠 宗禅
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京都新工場開設秘話

ある日共に技を競い合って来た上技物あられ店が突然のれんをおろしました。それは日本一の技を持つと言っても過言ではない程の素晴らしい技を持つあられ屋でした。
店を閉めた話を聞くと、その理由は「大手有名あられ、せんべいメーカーに潰された」との事でした。

少しあられ業界の事情をお話しますと、もともとあられ屋は家内工業でやっている小さい工場が多いのです。そして名の通った大手有名店は実際には製造されていない所が多く、その小さな工場に商品を作らせ、パッケージだけ代えて自社商品として販売されています。

大手有名店は販売力にものを言い、小さなあられ屋を苦しめます。仕入れ値を叩くのは言うまでもなく、時には理由もない返品や、突然の販売中止を平気で行うのです。のれんを下ろしたあられ屋も、注文された商品を製造したにも関わらず、購入の約束を破棄され、資金繰りが悪化したのだそうです。本物の技・味を持つあられ屋が、こうして次々と大手に漬されていきます。

私はそれを許す事ができません。又、大手メーカーが製造される場合は、オートメーションで効率化が進められると共に、無理な製造工程の短縮によって製造をされます。例えば本物と呼べるあられは製造するために7日~10日程かけて一粒一粒を製造するのに対して、大手メーカーでは1日または2日程で創り上げられます。

それはもうあられとは呼ぶことのできない、私から言えば駄菓子です。また、あられには適さない外国米を用い安価な品を作り販売しているため、あられ、かきもちの価値が下がるとともに、人々のあられ、かきもち、せんべい離れが進み、業界自体が縮小しているのです。

元来あられは正月に神様に供えられた鏡餅から由来し、日本三大随筆の一つとされる「徒然草」に登場する事からも、日本元来の菓子として、また上流階級の嗜好品として重宝されてきました。そしてその中でも上技物あられは皇族への迎品・献上菓子とされてきました。

しかしこのあられ屋の倒産により、日本の歴史から上技物あられという文化が消えてしまう危機に陥ったのです。私は三日三晩、悩み苦しみました。

菓匠 宗禅では「本物の技・味を追求し後世により良き文化を継承する」を使命にかかげてきました。また私は、子供やこれから生まれでる孫たちの時代に、オートメーションによる人間の手のかかっていない品ばかりしかないのでは心もとないと考えるのです。

手作りの人の暖かみのある品。職人の技のある品を少しでも残してあげなければと。そして私は自分の生涯をかけて、この上技物あられを継承していく事を決意したのです。

しかし、上技物あられを創り上げるためには、蒸籠蒸しに、杵つき、天日干しに焼き上げと、昔ながらの製法を必要とします。それは今までより、もっと大きな工場を必要としたのです。そのため新工場を開設しなければならなく、又私どもにとって大きな投資となりました。

周りの人々は皆、私の事を思い、反対しました。「商売がやっと軌道に乗ってきた今、なぜそんな無謀な事をするんだ?それに何故お前がやらなければならないのか?」と。しかし私は世の中からこのまま上技物あられが消えてしまうのを指をくわえて見ているだけで諦めるのは自分らしくない。たとえ失敗して全てを失ったとしても、精一杯自分の信じる道を生きていこうと決めたのです。

そして現在、京西陣菓匠 宗禅は日本唯一の上技物あられ処として、日々精進致しております。また職人としての私の夢であった、宮家へ品を献上させていただけるようにもなりました。

大きな夢が叶った今、次なる私の目標は「あられの価値の復権」です。上技物あられは米が命。ケーキ等の洋菓子に用いられる小麦粉よりも10倍ほどする、最も適した高価な餅米を主原料とします。
さらに上技物あられは一粒創りだすために、7日から10日間という長い時間と手間がかかるのです。

しかし悲しい事に、大手メーカーの安価な商品のために、あられは駄菓子のように扱われているのが現状です。私はあられの価値を本来あるべき所まで戻したいと考えています。せめて洋菓子と同じ土俵までには。そうでないと、本物を作りだすあられの製造メーカーがどんどん無くなってしまうのです。そのためにも菓匠 宗禅は更にこだわり尽くし、菓匠 宗禅にしかできない本物のあられを創り続けなければなりません。それがあられ、かきもち業界全体を良くする事につながるとともに、またひとつ文化を継承する事に繋がるのだと考えます。

これからも日本唯一の上技師としての責務を全うすると共に、新工場でさらに技を磨いていく所存でございます。

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