目次
長寿のお祝いは、中国を発祥とし、奈良時代頃に日本に伝わったと言われています。
初めは、貴族の間だけで行われて風習でしたが、江戸時代には民間でも長寿を祝うようになりました。
長寿のお祝いは総称として「賀寿」といいますが、年齢ごとにその呼び名は変わります。
唐の時代、6世紀の中国の詩人、杜甫の詩「曲江詩(きょっこう)」の一節「人生七十古来稀なり」に由来します。
当時は、70歳まで生きることが珍しかったため、このようにうたわれており、これが元となり70歳を古希としてお祝いするようになりました。
喜寿の「喜」は、草書体で書くと「上に七、下に七七」という風に見えることから、七十七歳を喜寿として祝います。
傘の略字をを分解すると「八と十」になることから、八十歳を傘寿として祝います。
半の字を分解すると「八と十と一」になることから、八十一歳を半寿として祝います。
米の字を分解すると「八と十と八」になることから、八十八歳を米寿として祝います。
「卒」の略字「卆」を分解すると「九と十」になるこから、九十歳を卒寿として祝います。
珍の漢字の左側(おうへん)を分解すると、「一」「十」「一」になり、右側を分解すると、「八三」となることから、「1+10+1+83」で95になることから、九十五歳を珍寿として祝います。なお、大変珍しいとの意味から112歳以上や120歳以上を意味する場合もあります。
「百」の漢字の上の部分の「一」を取ると「白」になることから、九十九歳を白寿として祝います。
百歳の祝い、または一世紀という意味から、百歳を百寿または紀寿として祝います。
茶の漢字が、「十と十と八十八」となることから足すと108となるので、一〇八歳を茶寿として祝います。
皇の字を分解すると、上の「白」が白寿と同じ「九十九」となり、下が「十二」になることから足して、111となり、百十一歳を皇寿として祝います。
頑の字を分解すると「二、八、百、一、八」になり、足すと119になることから、百十九歳を頑寿として祝います。
十干十二支(じっかんじゅうにし)、60年(還暦)を2回りしたことへのお祝いとして、百二十歳を大還暦として祝います。
還暦では、「生まれ変わる」、「赤ちゃんにかえる」という意味合いから昔は赤いちゃんちゃんこや、頭巾などを贈ることが多かったのですが、現在の60歳の方は現役で働いておられる方も多く、若々しいため、これらはふさわしいとは言えなくなってきました。
その他の賀寿のお祝いでも、お年寄り扱いするような品や不吉なものは避け、縁起物やこれからの健康や長寿を願う品などが喜ばれるようです。
菓匠 宗禅の長寿のお祝い品、プレゼントとしてお喜びいただいている品は、『結~ゆい~』です。
皇室献上品であり当店でしか創ることのできない亀の形に「ぷくっ」と膨らむ紅白の縁起餅「紅白亀甲餅」、めでたい海老せんべいのお皿に7種類の最高峰のあられを盛り付けた極朱珍「紅」・「葵」・「桃」の3種類、そして宝舟をかたどった小さなあられが、長寿を喜ぶ梅昆布茶に浮かぶ紅梅宝船昆布茶の縁起の良い最高級のお詰合せです。
百歳という大変おめでたいお祝いには、菓匠宗禅の中でも最上級の品である献上品『黄金亀』がおすすめです。
一粒に十日間かけて創り上げる献上菓子である上技物(じょうわざもの)あられ千粒の中から、さらに最高の形と紋様の雄と雌の一粒ずつを選び出し、店主が金箔を貼り合わせるという最上の品です。
さらに京都清水焼の皿や、加賀塗りの器、西陣織の巾着、奈良の桐箱などを用い、日本を代表する祝いの品に仕上げております。